私たちは手や足、耳などに障害をもって生まれた子どもたちが、一個の人間として基本的な権利が保障され、その障害ゆえにどのような差別をも受けることなく、ありのままの姿で自由にのびのびと生きていける社会、すべての人がそれぞれの違いを認めあい、ハンディを支えあいながら互いに個性と人格を尊重して生きていける社会をめざして活動していきます。
『障害をもって生まれても良いではないか』
わが子の障害を嘆き悲しむのではなく、障害をもったいのちを拒絶する社会、障害を持って生きることを困難にさせている社会、私たちが今生きている社会がそのような文化しか持てないでいることこそを嘆き、悲しむべきではないでしょうか。いのちの重さに差をつけない、誰もが互いを尊重し、ひとり一人が誇りある人生を生きることが出来る社会を目指すことが「先天性四肢障害児」を授かった私たちが取り組むべきことではないでしょうか。
20年前、わが子の「障害」に何故なんだろうと素朴に驚き、どのように育てていけば良いのだろうかと悩み、いったい親に何か出来るのだろうかと迷いながら、父母の会は手探りの状態でスタートしました。
子どもの成長の早さに背中を押されるような思いを抱きつつ、親たちの活動があちらこちらで展開され、試行錯誤のすえにたどりついたのが次のような考え方です。
もっと上質の文化を持とう−手や足や形が違うことでジロジロ見られたり、障害の原因を何かのたたりではないかなどという迷信を引きずっている、あるいは遺伝にたいして間違った認識をもち優性思想を抱えている、また「障害児」は可哀想だという発想の裏にある「障害児・者」排除の思想や、発想の先に見える、“手がかかって大変”という経済効率一辺倒の考え方をしているこの社会のありようを変えていこうではないか? このような考え方で今日活動を続けています。
設立から満20年を迎える今、もう一度父母の会運動の原点にたち返り、会の運動を一つ一つ点検確認し、設立以来の会員から昨日入会したばかりの会員まで、自分にできることはなんだろうか、何をするべきなのかをよく考えて、「私たちの願い」の実現のための新たな一歩を踏み出しましょう。
1995年8月6日 第21回父母の会総会で採択